日曜日, 5月 31, 2009

海外で働くということ

日本は明治の昔から所謂"外圧"に弱いし、"海外帰り"というとそれが留学であろうが駐在であろうが何か特別な目で見られる文化がある。特に最近は「海外(特にアメリカ?)だと〜が当たり前なのに、それに比べて日本はどうか」という話はよく聞くところ。一方で、賢い人や組織は逆にこれを利用して、日本において自身の理想を実現する際の梃子として海外の事例や経験を利用してきた。超保守的な日本文化の中にあって、この方法はかなり有効であることがこれまで分野に限らず証明されているし、僕も何時か日本に帰ったらおおいに使わせてもらうつもり。

ただ、これが行き過ぎると渡辺さんのブログのようになってしまう。まるでSPA!を読んでるようで、かなりウケタけど。そんな中、眠人さんのブログに冷静な意見がでていて大いに元気づけられた:「他の国で働こうと他の県に就職しようとそれは大した違いではない」。

まさしくそうなんだよね。特に僕が今関わっているような仕事は、ニューヨークやロンドンで探した方が、内容も面白くてかつ給料の良い仕事がごろごろしているわけ。東京で興味のある仕事がなければ、他の都市で探すのは当たり前。そもそも大学を卒業して、それまで離れたくなかった京都からいやいや東京に出て行ったのも、京都では金融の仕事がなかったからなわけだし。そもそも、「日本の国力の衰退」と「仕事(内容と場所)の選択」とは関係ない。人口動態から日本の国力が落ちていくのは当然としても、ビジネスはそれに合わせて規模を変えていけさえすれば、利益水準は維持できるわけだから悲観する必要は全くない。そもそもパイが減っていく中であっても、それ以上のスピードで担い手が減っていくのであれば、取り分は増えそうなもんだ。一方で、国として整備している年金やその他社会保障制度は安易にその規模を変えるわけにも行かないので大変なことになる。行政サービスの担い手やこれまで日本の国力に頼ってきた所謂"政商"にもそういった意味で、将来はない。

というわけで、僕は「日本の国力の衰退」は大いに心配しているけれど、まっとうなビジネスについてはその将来を全く悲観していない。一方で、面白い仕事が日本で見つからないのであれば、履歴書をe-mailしてどんどん海外に出て行けばいいんだと思う。海外での日本人の評判は決して悪くないわけだから。そして何時か日本に帰ったときは、その経験を武器に自分の理想を実現するために奔走すればいい。そう思う。

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