水曜日, 11月 15, 2006

しまなみ街道横断紀行 4

四日目は大三島からいよいよ尾道へ。実はこの旅で、一番に綺麗だったのは大三島から因島に掛けてであった。なだらかな斜面沿いにミカン畑が広がり、海の景色も抜群。ミカンを食べた後、波止場で大の字になってしばらく昼寝をしたり。サイクリングをしている人達も比較的多くて、気持ちが和らでいく。

ところで当初は、瀬戸内の島だからさぞかし田舎暮らしなのだろうと失礼なことを考えていたものの、セメント・造船・漁業(蛸、ヒラメ)・農業(ミカン、他の果物)と産業がかなり充実しているので逆にこの地域の人達はもしかしたら裕福なのではないかと思えてきた。実際、持ち家は大きいし町並みも整然としていて陰湿なところは全く感じられない。しかも、これらの工場は名前を見る限り所謂大手メーカーの支社ではなく、あくまで地元の企業のようである。「地方格差」の検証が今回の旅の目標のひとつであった筈なのに、選択をミスってしまったか!と焦っていたところ、向島に入った辺りから状況が一変してきた。後でわかったことなのだが、向島から広島県なのだ。県の財政力の違いなのか、港も道路も正直その手前の因島とはかなり違う印象に。。パチンコ店まであるし。僕の問題意識は首都圏と地方という枠組みでの地方格差の検証であったわけだけれども、もしかしたら、昨年あたりから話題になっている地方格差は地方(愛媛)と地方(広島)との間にも存在している格差なのかもしれない。いわゆる産業のある地域とそうでない地域。この感覚は尾道に着いてからなんだか確信めいたものに変わった。もちろん、局所的な議論ではあるものの、尾道の商店街は典型的なシャッター街であったし、広島県で2番目に大きな福山まで足を伸ばしてみてもやはり状況が変わっていなかったのを考えるとあながち僕の感覚も間違ってはいなかったのではないかと思えてくる。

この日は朝と夜の景色のあまりの違いにショックを受けつつ、福山のビジネスホテルへ投宿。夕飯はマクドナルドで済ませつつ、沈鬱な気分になってしまったのだが、疲れが溜まっていて直ぐに記憶がなくなってしまった。

水曜日, 11月 08, 2006

しまなみ街道横断紀行 3

さて、今治からいよいよ本格的なしまなみ街道入りである。地図に示した通り、6つの大小の島々を317号線づたいに尾道まで自転車で駆け抜ける。。筈だったのだれけれど、実は自転車は高速道路を走れないため橋を渡ったらいちいち下道に降りてから海岸線をぐるっと回ってまた橋まで登らなくてはならない羽目に。この島々は全て中心部が山になっているので、どうしても海岸線づたいになってしまう。結局、直線距離で凡そ45kmの行程の筈が67.5km近くになってしまった(~ pi/2 = 1.5倍)。

瀬戸内といえば、明石の辺りの渦潮はもちろん有名だけれど、実は今治から大島、大三島にかけてもかなりの渦が巻いていて橋の上から眺めていると、船舶の往来にかなり影響を与えてしまっているように見えた。或いは渦そのものではなくて、渦の形から海底の地形を逆算して十分な水深のある経路を選択していたのかしらん。今治から大三島にかけて蛸の干物・刺身が有名というのも納得。

更には、「伯方の塩」で有名な伯方島も発見。まさか商業用の塩を作っているわけではないのだろうが、浜辺沿い塩田があったのが印象的であった。全般的に長閑な風景が広がっていて、ミカンの初出荷が行われていたり。一方で、どの島にも「裏側(山?)」的なところがあって、そちらではセメント工場と造船場がまるで秘密基地のように配置されていた。たぶん戦前は軍事関連の施設であったのだろう。それにしても、こういった工場は本当に夕焼けによく映える。蜩の声を聞きながら夕焼けをバックに工場を見ていると自分もいっぱしの造船マンになった気分がしてくるから不思議だ。

この日の夜は大三島の中間辺りにあった旅館へ投宿。家族経営のようで、皆優しい。バックパッカーも珍しくないらしく、「お兄さんひとりなん?自転車は玄関ね」とか云われてとりあえずは風呂と洗濯機(?!)を借りて昼間の疲れと汚れを落とす。今思えばお遍路さんのドラマでみた光景そのまんまですな。

水曜日, 11月 01, 2006

しまなみ街道横断紀行 2

さて忘れないうちに松山から今治までの道中日記。およそ40kmの行程を国道沿いに走っていくわけだが、それぞれの町(あるいは市?)の特色が出ていて面白い。例えば仙台あたり、或いは滋賀県あたりをドライブしていてもこれ程町自体を宣伝いていただろうか。まずは風早の町。なんのことはない単に海沿いに広がる集落では風が強いということだが、そこらじゅうにこのフレーズ。道路交通看板にまで、風早にかけてスピード出しすぎ注意の文字が。さらにきくの町周辺では鬼瓦がそれぞれの棟梁らしき家の壁に展示され始める。ここでも、瓦の町、きくのの文字。実際には太平洋セメントのプラント等があり、こちらのほうが産業としては栄えていそうなものだが。ただこの瓦、有名らしくしまなみ街道沿いの島々でも立派なお屋敷になればなるほど四方の石垣にワシやら鷹の瓦が飾ってある。また、今治のお店にまで新年の干支をあしらった鬼瓦を縁起物として売りにきている。お店の主人が見せてくれたので間違いない。そして、タオルと造船の町、今治。

今治には夜7時過ぎになってようやく到着したため、昼間の様子を窺い知ることはできないものの、町時代は栄えている印象を受けた。大丸、サティーに商店街のお客を奪われてしまっているのが難点。繁華街、ホテルは申し分ないだろう。特に今治国際観光ホテルは大浴場、店員の対応、部屋の内装などどれをとっても京都のホテルに引けをとらない。

さて、では1日に40kmを自転車で初めて走破した感想は: こんなものか。遠くにうっすらと見ていた瀬戸大橋の袂まで実際に自分の足を使って到達してみると以外に近いことにきずく。風向きの影響もあったのだろうが、この感覚をとり戻したかったのだ。果てしなく遠く感じても目に見える限り、とどく。