土曜日, 12月 27, 2008

金融工学

今年は(というより昨年より)CDO, RMBSに代表される"金融工学"を用いて設計された商品群が崩壊したことにより"金融工学"自身にも注目が集まりました。この分野がわかりにくいことも手伝って、理不尽な批判も目にすることが多いです。サブプライム問題は"金融工学"が作ったとまで謂われる始末です。もちろんプロの投資家は事情を知った上で知らん振りをしているのでしょうが、ここで少し問題を整理してことの本質を明らかにしておきたいと思います。

これは前にも書いたことがあるかもしれませんが、まず"金融工学"という言葉を使うのはやめましょう。これはFinancial Engineeringという単語を単に日本語訳した浅はかな造語です。この単語を使うことで日本語による思考が楽になったりするものでは決してなく、余計な誤解や齟齬が増えるだけです。こんな造語を使っていては、漱石や高木貞二に顔向けできません。実際には、computational finance (金融計算機学とでもなるでしょうか?) とか mathematical finance (金融数学とでもなるでしょうか?) と呼ばれる分野の仕事がこうした商品群の設計を可能にしているのであって、英語でもいまどきfinancial engineeringによって云々などといったら素人だと思われてしまいそうです。

では、金融計算機学や金融数学の何が問題だったのか。金融計算機学は天文学的な計算を可能にしたり、計算速度自体を速める方法を考案するわけなので、特に問題があったわけではありません。強いていえば、商品が複雑になるほど計算時間が掛かるので、リアルタイムで時価やリスク指標等を計算しづらいという問題を完全には解決し切れていないという意味で責任の一端があったかもしれないという程度です。では金融数学についてはどうでしょうか。これは更に次の2分野に大別されます:

1) 確率解析学と無裁定原理に基づいた資産価格付け理論: デリバティブの価格決定時に良く使われるものです。主要な前提条件は、将来の価格の分布形状であり、よく対数正規分布や正規分布が仮定されます。

2) 数理統計学に基づいた投資理論: ポートフォリオの分散投資時やVaRの計算に良く使われるものです。主要な前提条件は、過去の価格データから推計された統計量が普遍であったり、或いは時間回帰するものであるとすることです。よく相関の普遍性であったり、回帰分析された関係式が普遍であると仮定されます。

まず1)についてですが、前提条件が少々崩れようともこの理論はびくともしません。細かいことをいう人はよくBlack-Sholes式は対数正規分布を前提条件にしているが、実際の株式の価格分布は対数正規分布ではない云々ということを主張します。ただ、こうした違いは前提条件を正しく理解してさえいれば、使用する上で特に障害とはなり得ません。2)についても、本来は同様です。ただ、2)の方が過去データへの依存度が高いという意味で注意しなければなりません。過去データのモデリングが物理の法則を発見する作業に似ているので、物理屋さんが重宝される分野でもあります。

さて、ではCDOやRMBSの設計段階で問題だった箇所はどこか?それは過去のデフォルト率や早期返済率を推計する際に考え出された過去データのモデリング部分, 2), です。こうしたデータモデリングはある意味CDOやRMBSといった商品に内包されている投資戦略そのものであるものの、推計レンジが長期化すればするほど推計が難しくなるという問題があります。人口統計等の長期推計値がよくぶれるのと同じです。

プロの投資家であればこうしたリスクは承知していたはずでしょう。過去データのモデリングが商品としての投資戦略を決定付けていることも。いまどき過去データから推計されたリスク・リターンをそのまま使って分散投資する投資家はいないように、今後はこのCDOやRMBSで使われるデータモデリング部分も投資家毎にカスタマイズするような方向になっていくのかもしれません。

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

Katzさんは、対数正規分布がファット・テールをもつことを「前提条件を正しく理解してさえいれば、使用する上で特に障害とはなり得ません。」として一蹴していますが、本当にそうでしょうか。

正規分布と考えた5σあたりの生起確率と、それをファットテールのある系(たとえば、切断されたレビ分布)と見るかで、1万倍以上の差異になります。これは、(一日の変動幅で見たとき)これくらいの異常事態が数年に一回起こるのか、数万年に一回起こるのかといった違いを引き起こします。LTCMや今回の金融危機も、「普通の正常」なときには何の問題もなかったのに、異常な事態が起きて引き起こされたものです。それが数万年に一度なら、無視して当然ですが、数年に一度なら、もちろん大問題です。

金融工学/金融数学の基礎には、経済現象の背後に潜む確率分布に関する深い理解が必要ですが、多くの数学者たちは、事態がどうなっているかよりも、理論作りの方に忙しく、Katsさんとおなじく「使える/使えない」で判断しています。こうした事態に異議を唱えているのは、Mandelbrotとか経済物理学の人たち、最近のgood sellerではNassim Nicholas TalebのBlack Swanなど、限られた人たちです。

わたしも、このような点について、かつて『エコノミスト』に書きました。
http://www.shiozawa.net/ronbun/economist.kinyukogaku.html

また、最近、機会があって『京都新聞』に以下の記事を書きました。
http://www.shiozawa.net/ronsetsu/kyotoshimbunGakumonNoSekininKinyukogaku81219.html

金融工学については、たしかに内容を理解していない人が多く、そのためおかしな論難が多いことも確かですが、金融工学/金融数学に通じている人間が、その学問の問題点についてもっと普通の人たちが分かる形で紹介すべきだと考えます。

反論は歓迎します。相した論壇が必要なことは確かですね。

Katz さんのコメント...

塩沢さん、コメントありがとうございます。

ファット・テールの取扱いについてコメントを頂いたわけですが、このブログではその存在自体を否定したわけではありませんし、その影響を無視しても大丈夫と主張したわけでもありません。仰る通り、その影響を無視するのは大問題です。ですから、金融商品を取引するプロ達は、命の次にお金が大事だと思っている人が大多数でもあるので、数年に一度であろうとも起こりうる「異常事態」を無視してお金のやりとりをするとことはあり得ません。「使える/使えない」ではなく、自分の命の次に大事だと信じているお金を失わない為に、様々な工夫を施して「儲かる/儲からない」の度合いを判断しています(そうした意味でTalebは、彼の規定する「異常事態」が起こった際に損をする確率を、他の市場参加者よりも多く見積もっているということなのでしょう)。その工夫の内容が学問と呼べる代物ではない(ロケット工学を学んだからといって直ぐにロケットを飛ばせられないのと同じですね)のが外部から理解しづらい一因なのでしょうし、また起こりうる未知の「異常事態」を想像する力に欠けていることが定期的に大損を出してしまう一因なのでしょう。